大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 昭和33年(う)175号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

弁護人西村金十郎の控訴の趣意は同人提出の同趣意書に記載の通りであるから、これを引用するがその要領は次の通りである。

一、本件起訴状には公訴事実として「被告人は競輪選手であるが妻通子に車券の不当配当金を取得させる為云々」記載し、被告人が所謂八百長レースをする目的で自転車競技法第二十七条違反の行為をしたものであることを明らかにしている。しかるに原審は右目的を認定するに足る証拠がないところから、ただ単に自転車競技上における純粋なるルール違反の点を捉えて直ちに前記法第二十七条違反に該当するものと解し、有罪の判決をした。弁護人としても被告人が競技におけるルール違反の故をもつて、該当レース失格の審を受けたこと及び右審判の当否については毛頭これを争う意思はない。該審判の対象となつた競技上における純粋単純な反則行為が直ちに、刑罰法令である前掲法第二十七条違反に該当するものとは到底思われない。両者は全く別個の問題である。

二、被告人の行為は前顕法第二十七条に所謂「威力を用いた」場合に該当しないし、又所謂「競輪の公正を害すべき行為」にも当らない。単に動対動の競輪競技における選手間の虚々実々の戦術の一こまに過ぎない。

要するに原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の誤用又は、事実誤認の違法があると云うのである。

よつて按ずるに

一、原判決には「被告人は競輪選手であるが昭和二十九年(昭和三十二年の誤記と認める)四月二十九日午後二時頃別府市亀川別府市営競輪場で行われたA級第四レース(六周計二千米)に出場し、第六周コースを進行中熊代哲人選手が被告人を追い越そうとして、その右側に迫つて来たところ、これを阻止しようとして、二回に亘り、急に右斜方向に進出して、同人の進路を妨害し、その都度、同人に前記意図を断念させ、以て、威力を用いて競輪の公正を害すべき行為をなしたものである」とあつて普通に所謂八百長レースの認定をしたものでないのは勿論、起訴状のように、その目的が妻通子に車券の不当配当金を取得せしむるにあつたか否かについても、何等の判定をも下していないこと所論の通りである。論旨は要するに自転車競技法第二十七条は所謂八百長レースのみを対象とするものであつて、原判決認定の如き単なる競輪選手の競技上におけるルール違反にまで適用さるべきものでないというに帰するので、進んでこの点につき検討すると、凡そ、如何なる競技にあつてもフエヤープレイの精神を基とすべきであつて、競輪においてもその理を異にしない。競輪選手が不正に賞金等を得又は特定の車券購入者に不当の利益を得せしむる目的を以て他と連絡し所謂八百長レースをする場合は勿論、かかる目的、連絡なく単に他選手を圧して自己の必勝を期す目的のみを以て競技中著しくフエヤープレイの精神に反する行為に出で競技の公正を害した場合においてもこれによつて車券を購入した一般観客に迷惑を及ぼすことあるべきは勿論スポーツの神聖を害するものとして社会一般の非難を蒙る場合のあるべきは賭易いところである。自転車競技法第二十七条等は競輪におけるこれ等不正行為一般を対象とするものであつて、たとえその主たるねらいが所謂八百長レースの禁遏にあるとしても、その他の競技上の不正行為については適用がないものとは到底解し得ない。このことは同法条の文理解釈上その適用範囲を所謂八百長レースに限定することを窺うに足る何等の制限を設けていないことに徴しても疑いがないと思われる。次ぎに別府市自転車競走実施規定(市条令)には競輪競技におけるルール及びその違反の場合における失格等の制裁を規定し、例えばその第六十一条には「選手は競走中理由の如何に拘らず、他の選手と押合い、或は他の選手の進路に交叉する等、如何なる方法によるも他の選手の競走を妨害してはならない。但し云々」と規定し、又これが違反の場合における制裁規定(同第六十八条等)も存在する。従つて本件の如き選手の競技中におけるルール違反の場合においては、右条令と自転車競技法第二十七条の双方に該当する場合を生ずることあるべきは明らかであり、また両規定が共に終局においては競輪の公正を期することを目的とするものであることも明白ではあるが、前者は主として当面の個々のレースの公正を図ることを目的とした自治措置を内容とする規定であつて、素より刑罰規定でないのに反し、後者は抽象的に競輪の公正を図ることを目的とし、従つて現実には一回のレースにおける不正行為を捉らえて処罰の対象とするものではあつても、その不正行為の種類、程度が延いては一般抽象的に競輪なるものの公正、明朗を疑わしめるに足る相当高度(前者に比し)のものに限るものと解すべきことは後者が刑罰規定であることの外、その方法を偽計又は威力に限り且つその法定刑も三年以下の懲役又は二十万円以下の罰金となつていることに照らし了解し得る。従つて被告人が前示条令に基き制裁を受けたからと云つて直ちに、自転車競技法第二十七条の処罰を受くべき理由とならないこと所論の通りであると同時に、逆に、既に同条令による制裁を受けたことを理由として、右競技法の適用を免れ得るものでもない。従つて本論旨は理由がない。

二、威力とは客観的にみて被害者の自由意思を制圧するに足る犯人側の勢力と解すべく、また自転車競技法第二十七条に所謂競輪の公正とは一競走における公正とは必ずしもその義を同じうしないこと一において説明した通りである。これを本件に照らすと、原判決に示された証拠と当審における各証拠とを仔細に検討すると被告人の行為が果して客観的にみて被害者たる選手の自由意思(本件の場合被告人を追抜く意思を制圧するに足る勢力と言い得る程度のものであつたか否かについて既に多大の疑問があり且つまた本件程度の反則は望ましいことでないこと勿論ではあるが競輪競技の現実においては選手間にまま行われていることも窺われ傍々被告人の本件反則を目して直ちに前記意義における競輪の公正を害したものとは断じ得ないと思われる。従つて本論旨は理由がある。

よつて刑事訴訟法第三百九十七条第一項第四百条但書に則り原判決を破棄し、次の通り自判する。

本件公訴は被告人は競輪選手であるが妻通子に車券の不当配当金を取得せしめる為昭和三十二年四月二十九日午後二時頃別府市亀川町別府競輪場において第四レースに出場した際自己を追越そうとして右側に迫つて来た熊代哲人選手の進路前に二、三回急出する等威力を用いて同人の進出を妨害し以て競輪の公正を害すべき行為をしたものであると云うのであるが結局犯罪の証明がないので刑事訴訟法第四百四条第三百三十六条により被告人に対し無罪の言渡をなすべきものとする。

よつて主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 青木亮忠 裁判官 木下春雄 内田八朔)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例